こどもの力を信じる

こどもの力を信じる、というと現実的対応をしていないと感じる人は少なくないのではないでしょうか。

理想的なことばかり言っていては、子どもが逸脱してしまうという「子どもには大人をバカにしないように怖いところも見せておかなくてはいけない」という神話を信じ込んでいる人が案外、多いことを私たちは活動の中で感じています。

 

ところが臨床を重ね、人間科学から考えてみても「こどもの力を信じる」ことを前提に、教師もケアワーカーも、保護者もアプローチを見直すことが「現実的対応」だと声を大にしてい言いたいと思います。

 

日本の子どもたちの自尊感情の低さは、ずいぶん前から問題視されています。これだけの経済大国であり、学校教育を受けながら、どうしてこのような数値が表れてしまうのでしょうか。一昔前に比べたら、子どもたちはおとなしくなりました。テレビでは時折、教師が生徒から暴力をふるわれている映像や、ドローンを飛ばして反省していない少年のニュースソースをくり返し流していますが、その数は全体の犯罪や暴力事件に比べれると極端に少ないものです。私がティーンズだったときと比べてみても、校内暴力の酷さは今の子たちのやっていることと比較すれば雲泥の差です。私が中学生だった70年代には、バイクが教室の廊下を走っていました。革靴で先生が生徒に蹴り上げられていました。授業中に校舎の屋上でダンスパーティが行われていました。毎週土曜日になると、暴走族が数えきれない程、走っていました。そのギャラリーの数も半端ではありませんでした。

 

実際に、学校で中学生に授業をしていても、90%以上の生徒は行儀正しく、静かに、かつ積極的に参加してくれます。多少、ふざけた態度をとる生徒がいても危険ではありません。どこかしら大人を信じて甘えて見せている感じです。

 

現実の子どもたちは、できれば社会に順応したくて懸命にふるまっています。むしろ順応するためにエネルギーを使いすぎている感があります。この現実に対応するべきであって、難癖をつけてそこに存在しない「悪い子ども」をねじ伏せるためにむやみに制限をかけたり、威圧的態度で命令するなどの不適切な対応は現実と不一致な対応といえます。

 

こどもの力を信じる、という大切なおとなの姿勢が子どもたちに、社会の中で信頼される人間としてふるまうために最低限必要な対応を教えることになるのだと思うのです。信頼は、信頼するという先人たちが示して初めて可能になるものだからです。

 

念のために書きますが、「放任」「援助努力の欠如」を「信じている」という言葉でごまかすこととは全く違うものです。

 

結果的に、その子が人から信頼される行動をとれるように援助することが重要なんです。

結果を叱ったりほめたりではなく、子ども自身が、自らの能力や感覚に自信をもつことができるように援助することが「現実的対応」なんだと思います。

 

あす少年に思いっきり、しゃべらってもらい、安全な環境で思いっきり暴れてもらい、疲れたらトントン背中をさすったら、その場で「もう、友だちを叩かないから、また来てね。絶体、たたかんけん、来てね。」と泣きながら、教室で寝込んでしまいました。この子はずっと一人で孤独に向かってこぶしを挙げていたのです。その気持ちに気づいてもらい、上手にコントロールしてもらって、初めて安心し周囲を気にせずに眠ることができたのでした。

 

おとなから、信頼する姿勢を示さずして、どうやって信頼される人間を伝えられるのでしょう。

私たちにとって「理想ばっかり、現実的対応ではない」アプローチは、「体罰もできなくようでは、子どもを育てられない」アプローチの方だと思うのです。